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「ブログ投稿する事に対して未だに不安」しかし、迷い決断する事は「成長の糧」

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「ブログ書いて投稿することが不安」そう思えることの本質は?

僕のブログもかれこれ1年ほどになり、記事も今回で130記事目を書き上げた。

 

いつもはてなブログのアプリで記事を書き上げたら、投稿するための「公開」の文字をタップする。

 

その瞬間いつも思う。

 

初投稿の時ほどではないものの、未だに押す瞬間少しだけ…

 

「迷う」

 

それはどことなく自分の心の内の恥ずかしい部分をさらけ出す行為にどこか似ているかもしれない。

 

特に感情を込めた考えを展開させた記事については心の中を出すようなもの。

 

投稿してやりきった気持ちの反面、恥ずかしさや不安を感じる部分もある。

 

本当の意味で「心の内のありのままを、なにもかもさらけ出せる」そのような人の割合の方が少ないのかもしれない。

 

一部の人は例外として、僕も含めて大抵の人は無難な着飾った言葉でまとめようとしてしまうのも無理はないと思う。

 

では、その人の「ありのまま」をさらけ出せばいいのか?

 

「ありのままの素直な自分を出せば良い」

 

とか、以前からよく聞くようになった言葉。

 

でも…

 

「ありのまま」ってみんな同じではないんじゃないか??

 

明るくて人間味ある人、情熱的な人、魅力溢れるポジティブな自然体、ならきっとステキだと思う。

 

…が、しかし…

 

「ありのまま」の姿が狂気染みた人、怠惰な人、短気な人、そして自分ファースト主義な人、無関心な人、と言った「ネガティブな自然体」の人も残念ながら確実に存在する。

 

「ありのまま」は良くも悪くもその人の本質

 

だから全てにおいて正解として当てはまるべきとは思えない。

 

そんな「ダメなありのまま」な人が万人に受けるかどうかも分からず、自分らしさと履き違え、勘違いしてさらけ出し、多数の人が不快な思いをさせする…

 

その場合は「ありのまま」じゃなく「わがまま」

 

よくニュースで取り上げている、相手側やアルバイト先の人達の迷惑を省みない迷惑動画がいい例。

 

こう言う行為を見るとつくづく思う…

 

「常識ハズレはダサい」

 

世間の常識(迷惑行為になる事)をよく知らない人は誰にも共感も称賛もされないし不愉快なだけ。

 

「常識破りはカッコイイ」

 

従来の認識や形式を破る事で新しい発見を生み出す方事ははるかに素晴らしい。

どうせならそちらを目指すべきじゃないかな。

 

相手がいて自分がある。しかし、相手がいて自分もあるとも言える。

 

相手の欲求を意識して相手の欲求を満たしてを前提としても、相手に合わせてばかりで「自分自身が何もない」ではどうしようもない。

 

その人の印象も薄くなり無個性になる。

 

かといって個性を出そうとして見当違いな事もやってしまう事になっては本末転倒でしかない。

 

相手の欲求を意識しつつ、自分自身の持っている個性をどこまで出していけるか??

 

難しい事だけど、そこにどこまで意識できるかが大切で、完璧は不可能かもしれないが、完璧に近づく努力は続けていくべきだと思う。

 

それこそプラス方向である「常識破り」という良い結果に繋がるに違いない。

 

努力を続ける過程で失敗もある。しかし、「行動した」事で学んだ事自体は誇るべきじゃないかな。 

 

記事を公開した事で、読者の方々も、同じブロガーさん達も、よくこんな記事を…と色々批判される事もあるかもしれない。

 

と言った事を頭に浮かべて不安になったりする事もあると思う。

 

しかし…

 

最近NHKドラマ「まんぷく」で即席ラーメンのまんぷくラーメン開発者の萬平さんの言葉。

 

「100通り失敗したとしてもそれは失敗ではない、上手くいかない方法が100通り分かったからだ。」

 

正統かつ王道の「失敗から学ぶ」「失敗は成功の母」色々あるかもしれない。

 

しかし、この萬平さんの言葉は今までたくさんの「失敗ポジティブワード」を聞いた中で1番前向きに聞こえた。

 

失敗した経験も含め、たくさんの知識として吸収し、整理し、自分の中に昇華させる。

 

その事を表現しきった言葉と思えた。

 

それら全ての積み上げた事が自分の糧となっていく。

 

積み上げた事を自分の中で記事を書くテーマに対する熱い想いを載せてブログ記事を書き上げる事ができたのなら、その記事はきっと後から見ても書き切った充実感はある。

 

その反面、その時の感情、モチベーションで書いた後日に見返すと気恥ずかしい想いにもとらわれる事もある。

 

それもまたブログを書いているその人の個性。

なぜなら…

 

本人だけの、その時の感情を込めた文章は、その昂ぶった時にしか100%載せて書くことができないから。

 

書く時にそのタイミングで記事を書く事が出来たのなら、書いた本人からして最高のものになり、クオリティも高い。

 

時間を置いて気持ちが下がったときに無理して書いた記事には感情はのりきらないから。

 

そしてその気持ちのまま書けたのなら充実した時間になる。

 

きっとブログ記事を真剣に書いてる人ならみんな味わった事のある充実した時間じゃないかな。

 

同じテーマだとして、ブログの記事で表現するということに関して言えば人間の感情の変化の影響は顕著に書いた記事に表れる。

 

これこそまさに人間の持っている「感情による脳への働きかけの特性」だと実感する。

 

恥ずかしかったり、中には不安な気持ちになるのは特に感情を乗せた書き方の時。

 

全員ではないかもしれないが、感情を表現する事が不器用な人もまたいると思う。

 

日常で上手く表現できなくて不器用な人は特にそうかもしれない。

 

自分の感情に対して真剣に向き合い、せめてブログで精一杯表現した良い記事にしたいと書いている。

 

だからこそきっと記事を公開するときに「否定」「拒否」のネガティブな事を予感し、より一層そういった気持ちになるだろう。

 

しかし…

 

不器用だろうと、不安が一杯だろうと、精一杯行動し、積み重ね動続け、今現在この瞬間の自分につなげてきた自分の事は誇って良い。

 

その時の出来にもよるが、記事を公開してまた見直したりできるからなにも恐れる事はないんじゃないかな。

 

「何書いてんだコイツ恥ずかしくないか?あほか?笑」とか言われ、ひょっとして笑われるかもしれないが…

 

それでも進まなければ学びを得るための失敗すらできない。

 

そしてさらにいうなら…

 

不器用でも頑張ってることを、非難し否定して笑う人間の方が恥ずかしい。 

 

そう思うのはおそらく僕だけではないはず。

 

何もせずにあざ笑うだけの人や周りの迷惑を考えない人間よりも、不器用でも頑張って記事を書いているブロガーさんの方がずっと価値と熱意を感じるし、好感が持ててその人を応援したくなる。

 

後退せず、前に進めていくことは素晴らしい。

 

前に進みたい気持ちを大切にして…

 

よく良いブログを書くには数をこなせ、と良く聞くと思う。

 

それは文章スキルだけでなく、メンタル面も進化させる事も含まれてるのかもしれない。

 

脳の中にパソコンに書きこむように思考プログラムを集中して書きこんでいくことができれば周りの雑音も消えていくんじゃないかな。

 

だから大丈夫。

 

まずは記事を書き上げ…

 

「記事を公開するためにボタンを押す決断する経験」を何度も重ねていこう。

 

ようするに…

 

「これからブログ始める人、すでに頑張っている人、みんな頑張って継続していこう」って言いたい。

 

そして……

 

今回のこの記事も…

 

かなり感情込めて書き上げたけど…

 

プレビューで下書きを何度も確認と修正した。

 

記事を公開する事を…

 

「大した実績があるわけでもない自分が、散々あれだけ言って本当にいいのか?見当違いな事を言ってないか?」

 

という具合にかなり不安になり…

 

非常に「迷った」

 

今回のブログコンテストという新しい事への試み。

 

不安があって当たり前…

 

…なんだけど…

 

もしこの記事がみなさんの目に触れていたのなら…

 

この記事を公開する事を…

 

「決断」出来たのだろう。